トルコ旅行12日目/サフランボルの歴史
クランキョイの町ここから、市バス、ドルムシュもしくは徒歩で旧市街チャルシュ(世界遺産の町いわゆるサフランボル)へ向う
クランキョイの町から見下ろすサフランボルの町並み
サフランボル民家の屋内。これは「バストンジュ」の部屋の写真だが、壁にあるスペードのマークみたいな物がサフランボルの伝統的な形のようである。何か意味があるのだろう。
一般に公開されている伝統家屋のひとつ「カイマカムラル・エヴィ」ペンション「バストンジュ」のすぐ上にある。興味はないので入っていない。
昔ながらの風景を残す為か、新しく建てられているこの家も昔ながらの方法で建てられているのであろう。こころなしか使用されている木材も古そうである。町をあげて景観を維持する取り組みが垣間見えました。
土産物屋さんが軒を連ねている通り。
皮製品を主に売っているお店、この写真に写っているおじさんは日本人を見つけると、昔ガイドブックに掲載された時の記事を見せて革製品をしきりにプッシュしてきます。個人的な感想としては、他の店の価格品質等と比べた後に、ここで買うべきか判断した方がよさそうです。
町の中心に位置する、「シンジハーン」ホテル&レストラン
シンジハーン、彼はサフランボルの町の大きな目印である「シンジハーン」ホテルと「シンジハマム」を建設した人物。波乱万丈の人生を送り、町の歴史を語る時に必ず表れる人物である。
シンジハーンはカラバンサライの宿泊の為に建てたホテルである。
カラバンサライの商隊の像やらくだが通れるように作られた大きな門。右下の小さな扉が人間用。訪れたものが通る時に頭を下げて通るようにわざと小さめに作ってある。自動的に頭を下げることでホスト側に敬意を表すようになっている。
レンガつくりのモスク、角ばったモスクはめずらしい?
死者を乗せる台。ここに死者を乗せ僧侶(モンク)がお祈りをしたらしい。それで成仏するという事だろう。
日時計。時計のない時代はこれでお祈りの時間を確認していたという事である。日が暮れた後はどうやって確認していたのであろうか。
お祈り前に頭、手、足を清める所。左側にはスリッパも用意されている。
消火栓。ファントンと呼ばれている。木造家屋が多いサフランボルの町にはいくつか点在する。現在も使用されているか分からない。消火栓というだけではなく、共同水場としても使用されていたりもする。
ファントンは宗教的な絡みも多いみたいだが、詳しい説明は忘れた。これは中央の拡大写真。「アラー」と書いてある。
これも詳しい事は忘れたが、イスラム的に大事な時間を指し示している。建造物の一つ一つに宗教的な意味合いが隠れていたりする。
エスキハマム跡。町の中心に有名なシンジハマムがあるが、少しはずれた所にエスキハマムというハマムがある。そこの昔の建物がそのまま残っている。おばけが出ると町のうわさになっていました。
写真の中央部分に茶色の丸い印が見える。昔はこれが男女の区別であったそうだ。この丸がついている方が男風呂。この写真は上の写真のドアの左側の拡大です。このハマムは入って左が男風呂だったという事でしょう。
学校。この学校にもシンジハーンの逸話が残されている。しかし、詳細は忘れてしまった。
学校の横にある岩というか山肌というか。昔ここ旧市街は海底であったと伝えられている。この岩の上部は海から出ていたとされており、くぼみの所まで海であったということらしい。また、海に沈んでいた時はサフランボルは5個か6個の島であったらしい。サフランボル全体が見える所に行き町全体を見ると、なるほど、町には大きく5個か6個の丘があり、当時島の集まりであった事がわかる。
サフランボルにかぎらずトルコは坂の多い所だが、日本と違って排水は道路の中央にあり、道路はV字型になって中央に集まった水が下に流れていく仕組みになっている。日本の場合は大抵道路の両サイドに流れていくように、道路は山型になっている。幹線道路でも日本の分離帯は柵であったっり、ポールが立っていたりと障害物が置かれるが、トルコの場合は分離帯部位分を掘り下げて溝にしている。国によってのやり方の違いがおもしろい。
サフランボルはカラバンサライの通過地点として栄えた町。商隊の馬具などに使う金属、皮製品で栄えていました。現在も数件残っており町を通れば金属を加工している姿が見れます・
町の下の方に見えるのが皮製品を作る為に飼育されている動物の厩舎及び皮をなめしたりする作業所。動物は匂いがきつい為、作業所は町に匂いが影響しにくい、町の一番下集まっている所にあります。
モスク。皮製品を作っていた人々もお祈りの時間になると町のモスクまで行ってお祈りしていましたが、匂いがきつく人々に敬遠されていた為、彼ら専用の簡易モスクが作業所の近くに作られたそうです。すこし、悲しいモスクです。
現在作られている伝統的な革製品は主にこのような靴だそうです。
海に沈んでいた時代はここが魚の巣であったと考えられています。
家のドア。宗教上男女が顔を合わせないようにする為の工夫がなされています。男性は上についているおもりのような物でノックをします。女性は下についている輪っかでノックします。音の違いで屋内にいる人は来客者の性別を判断できるようになっています。現在は使用はされてはいないと思いますが、多くの民家のドアには形として残っています。
屋根の下に動物の角がぶら下がっている家が多く見られます。魔よけです。お土産物屋さんで見かける青い目玉のようなやつも魔よけですが、あれは人につけます。角は家につけます。
2階部分の窓です。人が来た時に下を覗き込みやすいように膨らんでいます。
サフランボル歴史博物館
旧役場跡を博物館として使用している。サフランボルの歴史に関する物が展示されている。
サフランボル歴史博物館の中に保存されている執務室
博物館の奥には時計台がある。裏に回ると入り口があり上まで登ることができる。
時計台の中にはおじいさんがいる。時計の説明などをしてくれる。時計台からの眺めもよい。おじいさんは僕の地球の歩き方を見ている。
2日目と3日目に入り浸ったケバブ屋さん。おいしくて、安くておすすめです。
ケバブ屋さんの大将ムラトさん。隣はお手伝いさん。ただいま昼食中です。ムラトさんは店が終わった後、クランキョイのバス亭まで車で送ってくれて、チケットの手配までしてくれました。
バーバーイスマイル、ケバブ屋さんの隣にある理髪店。バスの待ち時間があまりにも長いので、ここで散髪しました。7リラ。店主のイスマイルは25歳でトルコ人としてはめずらしく童顔。サフランボルは退屈な町だと嘆いていました。確かにずっと住むには退屈かもしれません。
お土産物屋さん。ここの店主のメブルートさんは12年間日本にいた事があり日本語ペラペラです。ここでもまったりさせていただきました。個人旅行者はゆっくりできるので是非立ち寄っていただきたいですね。狭い町なので、ぶらぶらしていたら必ず声かけられるとおもいますが。
米に文字を書き込んでいるメブルートさん。ここではお米に文字を書き込んで、それを入れたペンダントを作成してくれます。これをやっている人はトルコでは2人しかいないそうです。お値段もお手ごろです。5リラぐらいだったような。
そのペンダント
メブルートさんのお友達スレイマンさんと近くのお土産物屋さんの女の子。
鍛冶屋さん。奥の部屋に連れていかれ、日本で紹介された時の新聞の切り抜きから、なにからなにまでいっぱい見せられた。そして、かなり体を密着させたハグを何回もしてきた。逃げ出すのに苦労した。この人苦手だ。
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サフランボルで唯一オスマン朝時代の文字、オスマン文字を書ける人らしい。僕の名前を書いてお土産としてくれた。思い出の一品となった
ロクム屋さん。現在トルコではロクムを手作りしている所は少ないらしい。(ほんとかどうかは調べていませんが)ここは手作りでお値段もお手ごろです。箱詰めされ、パッケージされて棚に並べてある既製品よりも、店頭に並べてあるロクムを自分でえらんで詰めてもらった方が安いです。パッケージが簡素になるぶんたくさん詰めてくれます。また、味見をこれでもか!ってぐらいさせてくれます。
今回無料で町をガイドしてくれたファルク(右)左にいるのは町の消防所長さん