更新日2012/03/13
開設日2005/07/27

究極のモダニストと呼ばれた映画監督の伝説
−名声と挫折、そして晩年の悲劇
その人生と残された作品をご紹介します。

中平康

6.安定期から異端への道

 日活が太陽族路線、裕次郎や旭たちのスター路線は会社が求める
作品傾向も決まっていました。
 中平も青春映画、アクション、コメディ、サスペンスものと幅広いジャンル
をこなします。が、多彩なテクニックを駆使した作品は、時に技法至上主義に
なって以前のようなヒット作に恵まれなくなります。
 そんな時、彼はアルコールと睡眠薬に依存するようになります。
 また、愛人と暮らし家庭も捨て生活に落ち着きがなくなります。このことは仕事
にも反映されます。
 遂には日活を解雇されます。
 
 71年には中平プロダクションを設立。カンヌ映画祭グランプリを狙った起死
回生の作品として「闇の中の魑魅魍魎」を製作・監督します。
 ゆかりの高知で家族・友人たちがかき集めた資金と友情を力にすばらしい作品となるはずでした。
 しかし、すでにアルコールなしで監督することができない身体になっていまし
た。心配して駆けつけた新藤兼人は「失敗」を予感させる光景を目にします。
 まったく腰がすわっていない撮影。ワンシーン、ワンシーン適当に「カット」の声
が入ります。
 案の定、カンヌ映画祭に参加するものの話題になったのは国内だけで、無冠
に終わります。
 その後、香港で監督作を残したのち、ATGとの提携で「変奏曲」を最後に映画
界から離れます。

 テレビドラマを監督して糊口をしのいでいた78年9月11日。
 胃がんのため中平は逝去します。

 現在、愛娘の中平まみさんは作家として活躍しています。

5.日活時代 〜衝撃的なデビューから全盛期へ〜

さて日活へ移籍してからも助監督時代が続きます。

新藤兼人監督 「白銀心中」
田坂具隆監督 「女中っ子」
西川克己監督 「生きとし生けるもの」
そのほかの作品で助監督を続けます。

そして、時代が中平に追いつきます。
監督第二作「狂った果実」がセンセーショナルな話題を呼びます。
実は、中平の初監督作品は「狙われた男」なのですが、
公開が逆になったため、太陽族の衝撃と大胆な映像が国内外に大きな
影響を与えます。
 特にフランスでは新しい映画の波、「ヌーベルヴァーグ」の監督たちからの賞賛を受けます。

4.松竹時代
 
 松竹は、次の作品に助監督として参加しました。
 川島雄三監督 「シミキンのスポーツ王」
 木下恵介監督 「お嬢さん乾杯」
 渋谷実監督  「本日休診」、「現代人」
 原研吉監督  「恋の十三夜」
 黒澤明監督  「醜聞」、「白痴」
 しかし、54年には、当時大量の監督の人材を必要としていた日活に移籍します。

1.中平康の誕生

 中平康は1926年1月3日に、東京市滝野川区に生まれました。父は高知出身の画家・高橋虎之助ということで高知県にゆかりがあります。
 母は、バイオリン教師で、いわば芸術一家に生まれました。
 高知県立美術館の収蔵品には、父・虎之助が一家を描いた油絵があります。家族の中で、一段と利発な顔をした子供・中平康が生き生きと描かれています。
 あいにく、この収蔵品の展示は、時折開催される収蔵品展でのみ展示されており、常設されてはいません。

© 小津工房

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2.学生時代

 誠之小学校からミッション・スクールの聖学院中等部へ進学した頃から
映画に関心を持ちます。
 そして疎開を兼ねて本籍地の高知県にあった旧制高知高等学校に進学し、
生涯の友人を得ます。
 高知旧制高校と当時の学生寮の南溟(なんめい)寮は、現在は取り壊されて
高知大学教育学部付属幼稚園となっています。
 しかし、南溟寮の名前は、現在も高知大学の男子寮の名前として残されてい
ます。
 そして終戦.。
 中平は上京して、1948年東京大学文学部美学科に入学します。
 ところが、彼は同年夏には、映画道に進みます。

映画監督

3.映画界へ

 48年夏。松竹大船撮影所の助監督募集(戦後第一回)に応募します。1,500人
中8人のうちの一人として選ばれ松竹に入社します。
 ちなみに、他の合格者には、鈴木清順、松山善三、斉藤武一、井上和男、生駒
千里たちがいました。
 中平は入社に伴い、大学を中退します。
 中平は合格が決まったとき、キャンパスで友人たちに嬉々として報告したそうで
す。現在もご健在のそのご友人は「あのときの中平の笑顔は忘れられない」と、
お話して下さりました。