E組朝風新聞             2003年4号

入学時からしばらくの間、姓が近いので出席番号順のパターン通り席

が前後で仲良くなったKさん。

今思い返すと対照的な不思議な取り合わせでした。

片やお洒落な大人の女性。片や成長の遅れた無知な子供。

短め目にしたスカートから伸びた足は宮崎先生も美しいと認めておられ

たとか・・・・。

三つ編みにしたお下げ髪とジャンパースカートにはさんだ白いハンカチ。

ビシッと決めたスカートのひだ、常にお洒落や身だしなみに気を配る一方、

密かに全国版の詩集に投稿したり、ちょっと気取り屋だったけど冷静で行動力のある夢子さんでした。

水泳の授業で泳げずにプールで女性の皆が見守る中、ブクブク・・・と沈んでしまい人工呼吸された

なんてこともありました。単位を貰いたい一心で承知でプールへ入っていったK子さん。あの頃は先生に

                                             

 

 

 

 

お知らせ

3月末,歩いている途中に倒れ意識が戻らないまま重態が続いていました松本君が、

6月27日朝亡くなりました。

仕事に打ち込み酒を愛する松本君は、数年前から山登りを新しい家族と始め、家庭人

として幸せな数年だったと思われます。まだまだ早すぎる死です。残念です。

クラス一同心からご冥福をお祈りいたします。              ( 6月27日)

                                      

 松本君が亡くなりました。

彼との出会いは同じクラスということもありましたが、1年生の夏休みを前に

私の父親が軽い中風に倒れ、室戸出身の私は学芸を断念しようと思って

いた頃、彼の父上が亡くなり二人揃って育英会のお世話になることが決ま

りました。そんなキッカケで親しくなったと思っています。

 皆も知っての通り、彼は頭・体力も抜群で親分肌のところがありました。

二人で話していて「おんしが組を作ったら、オラが参謀になっちゃるき」と、半

分冗談に話したことです。ところが彼はやんちゃな所がありましてある夜、柿

をドサット下宿に持ってきました。朝倉近くのお屋敷の柿の実をテッペンの1

つを残して全部取ってきたとのことです。テッペンの1個を残したというところに

彼のユーモアを感じたものでした。その後のことは高知にいる同級生が私より知っていると思います。

悪しきにつけ良きにつけ人生と青春の入り口で出会った一期一会。松本君に合掌。

                                                6月29日   東京・喜康(五月亭)

 

宮崎雑感 5が出ました。宮崎先生が中村伝喜先生のことを書いておいでます。

「私は養子ですろう〜」で笑わせ、通勤の電車の中で私達の模範であった先生。お年寄りに席を譲り

立ったまま(空くと座って)歌をいつも口ずさんでいた伝喜先生。登山帽に手拭の姿が思い出されます。

 

今年の同窓会について

 昨年秋にクラスメートの岡ちゃんの息子さん、1ヶ月半前に西君の娘さん

が事故に遭い亡くなり、また直近では松本君が亡くなっています。

定年退職までにもっと会うべきだという声も聞こえてきますし、お盆は目の前

に迫ってきており同窓会に向けて行動しないといけないのですが・・・。

クラス会を長年支えてきてくれた西君のことを思うと、今年は有志だけの親

睦会にして、来年に楽しいクラス会「岡ちゃんを送る会」をと思っています。

(きっと今年の件については皆さんにご理解頂けると思います。)

今まで県外から高知への移住はありましたが、クラスから初めての県外移住です。 ご主人の退官が1年

半後とのことですので春のクラス会が理想ですが、春は皆さんのそれぞれの行事とダブり出席が悪くなる恐

れがありますので、人の集まりやすい夏に「送る会」をしたいと思っています。

岡ちゃんとは幼・小・中・高と一緒に学んだ方もいると思います。小・中・高だともっと沢山の方がいるで

しょう。来年の夏はたくさんの方に集まって頂いて、楽しい思い出の会にしたいと思います。

 

 

 

 

対しても純情そのものでした。

 暫く疎遠な年月の後、電話で話した時は数匹の猫と一緒に暮らしていると楽しそう

でしたが、その後健康を害されたのでしょう、皆より2歩も3歩も進んでいたE組そのま

に、先に逝ってしまわれたニュースに早過ぎ!と衝撃を受けたことでした。

Kさん安らかに・・・・。

                                       (桜吹雪さん)

 

 


Kさんを偲んで思い出すこと・・・・