その道は五つ在り、 一に曰く脱魂、 二に曰く真入、 三に曰く大解脱 四に曰く玄胎 五に曰く霊通 此の五者は入仙の玄門。 脱魂は坐在立亡を以て始めと為す。 真入は魂を出して仙界に入るの道なり。 大解脱は身を錬り形を消して玄胎を作るの道なり。 玄胎は天地と形を同じくし霊胎を為すの道なり。 霊通は形を分かちて八方の道に遊ぶ。
夫れ人は皆な空玄の眞一に本づく。真一より出でて、真一に帰す。 真一変化して人と成り、人は又た人を生む。 人は腎を生じ、腎は又人を生ず、故に腎は人なり。 腎はまた空玄の精霊に本づき、精霊は又た眞一に帰す。 眞一は我が明堂にあり、明堂は神霊に通ずるの所、分霊の舎る所。 四大八方皆此れに本づく。 今、我れ空玄に居し、仙道の旨要を感想す。
○天地自然の真符 (訳)
人は天地に満ちた気の中に生きて居る。人の行動も言葉も思いも皆な全て天地に応じ通じている。 人の目には見えない隠身(かくりみ)の神仙(天津神・国津神)は、人の行いを見通しているし、人の声を聞き通している。 人が人に知られる陽善を為せば、人が人に報いるが、人が人に知られない陰善を為したら神仙が人に報いる。 人が人に知られる陽悪を為せば、人が人を治めるが、人が人に知られない陰悪を為したら神仙が人を治める。 だから天地は人を欺かない、影と響きを以て人に黙示するのである。 人の善悪の行動や言葉を、天は全てこれを監察している。 人が禁を犯すことが千の数にも満ちたなら、天が裁きを下し、地が人の身体を収める。 人に修善積徳の行いがあっても、なおも凶過に遭うのは、前世や先祖の余殃である。 人に積悪禁犯の行いがあっても、なおも祥福に遇うのは、前世や先祖の余慶である。 だから、善人の行動は、暦を見て時日を選ぶ必要もない、 凶であっても凶の中の吉事を得るし、悪の中に入っても悪の中の善事を得るのである。 悪人の行動は、いくら暦を見て日時を選んだとしても、 吉の中の反って凶を得るし、善の中に入っても反って善の中の悪事を得てしまうのである。 この様に、善悪の応報は、影の形に添うが如くであり、物の響きに応ずるが如きである。 汝に出でるものは、皆、汝に還る。これが天地自然の法則である。 それを、信じようが信じまいが、誰であっても、この法則より免れることなど出来ない。 目に見えない幽冥の世界からの照覧を、どうして恐れないでいられようか。
○感応の玄理 (注)
群生は天地の玄気の中に生存するものにして、 此の玄気は則ち四大の真気にして生霊(セイレイ・生き物)の依る(依存する・必要不可欠)所なり。 天地間の万物の生霊は此の気中に充満す。 此の故に、凝念感想を以ってすれば、気中の万物は之れに応ぜざること無し。 則ち群生の善悪・吉凶の動息行為はみな天地に応ずるなり。 真伝の印・符・呪言施行の感験及び一心不乱の祈念の感応ある神秘の玄理もここに存す。