(2014第9回)メリケン国西部 大自然を訪ねて −最終回−
いよいよメリケン国西部の旅も、最終日。ロサンゼルスとその周辺を回った後、空港へと向かう。親しくなった皆さんともお別れである。
【第6日目 7月1日(火)ロサンゼルス(ビバリーヒルズ、ハリウッドなど)〜帰国】
ビバリーヒルズ
海岸通りを離れてビバリーヒルズに入る。ハリウッドのスターなど、セレブの邸宅が並ぶ高級住宅地である。
ここも厳密には、ロサンゼルス市内ではなく、ロサンゼルス郡ビバリーヒルズ市だ。
住宅地へのバスの進入は制限されているとかで、私たちは、大通りを走りながら車窓から木立に囲まれた豪邸群を垣間見るだけだ。マリリンモンローが亡くなるまで暮らしていた家なども、ちらりと見えた。高級ブティックが建ち並ぶ「ロデオドライブ」には、ハリウッドのセレブに出会えるかも、と期待した観光客が押しかけるそうだが、たまたまなのか、今日はあまり人通りは多くなかった。
ハリウッドへ
さらに、ハリウッドへ向かう。知らない人はいない映画産業の中心地だ。
ハリウッドの綴りは「Hollywood」。「ひいらぎの森」という意味である。この地名の漢字表記「聖林」は、「Holly」を「Holy」と誤読したものだが、いつの間にかこれが市民権を得てしまっている。
この映画の都、なぜ、ニューヨークなど経済の中心地である東海岸から遠く離れたこの地に出来たのだろうか?
映画が産声をあげた当時、フィルムの感度が低く、天候の悪い日が多い東海岸では撮影に苦心することが多かった。このため、映画会社は、陽光に恵まれたカリフォルニアに、その拠点を移していった、というのが主因である。
アカデミー賞の階段
そのハリウッドで最大のイベントと言えば、アカデミー賞の授賞式。映画人なら、誰でも一度は、この式に招かれて、世界中の注目のもと、オスカーを手に華やかなスポットライトを浴びたいと願う巨大イベントである。
その式典の会場が「ドルビー・シアター」。受賞者が上る赤絨毯を敷いた階段のある建物である。
私も、その階段を上がり降りしてみた。正装した受賞者が、感激を胸に一段一段、踏みしめながらここを歩いたかと思う。まさに人生絶頂の時に違いない。大女優たちも、ロングドレスの裾を踏まずにこの階段を上るのは、それなりに大変だろうな、などと、しょうもないことを思いながら、短足を運ぶ私。
階段の両脇の柱には、各年ごとの作品賞受賞作名を表示したパネルが設置されていた。
手形足型
そのすぐ近くに中国風建築の「チャイニーズシアター」がある。1927年の建設当時、世界一の規模を誇った劇場である。
その前庭には、有名な手形タイル。セメント製のタイルに、有名スター約200人の手形足型やサインが刻まれている。ざっと見ただけでも、ジョン・ウェイン、クリント・イーストウッド、アーノルド・シュワルツネッガーなどなど、私のような門外漢でも知っている大スターたちのものがずらり。
中でも一番人気は、マリリンモンローだそうで、なるほど、彼女の手形だけが黒ずんでいた。観光客が次々とその手形に自分の手を重ねるため、こんな色になったのである。
彼女は、ハイヒールの足型も残している。私も自分の手と足を重ねてみた。小柄な人だったことが分かる。なお、モンローが手形を押した時の写真も展示されていて、並み居る大スターの中でも彼女は特別扱い、という感じである。
中華街で最後の晩餐
以上で市内観光は終わり。そして、今回のツァーの観光地巡りもおしまい。
今夜は、ロサンゼルス市内の中華街で最後の晩餐の後、空港へ向かい、帰国の途につく。
中華料理店で私たちは、丸テーブルを囲む。もうすっかり仲良くなった一行とも、一緒に食事をとるのはこれが最後。ちょっと寂しい。添乗員の萩本さんの提案で、全員、一言ずつ、この旅行の感想などを述べることになった。
「楽しかった」「ありがとうございました」「良い思い出が沢山できました」
私も、すべて同感。脚の痛みが再発しないか、恐る恐る出発した一人参加の旅だったが、毎日楽しく笑いながら過ごすことが出来た。
私は、その旨と「地球の歴史を実感しながら壮大な自然を満喫できました。特にグランドキャニオンでは、私の日頃の心掛けの良さが幸いして、パイロットの隣の席でヘリ遊覧を楽しむことか出来、本当にラッキーでした」と述べた。一斉に笑いと拍手が起きた。
空港前のハグ
すっかり暗くなった中、ロサンゼルス空港に到着。安西さんがバスの中でお別れの挨拶をする。
「いつか機会があれば、またご一緒しましょう」 また全員の拍手。
バスから降りて、安西さんと、いよいよここでお別れという時、笑い姫こと友永夫人が安西さんに飛びついた。そして、ハグ。感極まった様子である。いつも明るい笑い声でツァーを和ませてくれた彼女が涙を浮かべている。名残惜しい。みんな、名残惜しい。
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今回の旅では、不本意ながら一人参加を余儀なくされ、朝夕の気温差にも驚きの連続だった。しかし、この8日間、天候にも同行者にも、そしてスタッフにも恵まれたメリケン国の旅であった。
あんなに親しくなった同行者の皆さんではあるが、メールアドレス、電話番号など、一切交換しなかった。まさに一期一会。これでよい。
私も、この旅の5ヶ月後、11月末には定年を迎えて、いよいよ人生のラストスパートである。いや、まだまだ若いつもりの私は、第二の青春をおおいに楽しみたいと思う。まだ行ってみたい国、訪ねたい土地がたくさん。
とは言え、加齢のためか目の疲れがひどくなり、集中力も低下した。そのため、この旅行記も、書き始める元気が湧いてこず、執筆を半ば断念しかけていた。
そんな私の背中を押してくれたのは、いつもこの拙い旅行記を読んでくださっている皆様である。
今後も、是非、健康を保ち、旅を楽しみながら、旅行記も書き続けたいと心から願っている。
皆様の応援と叱咤激励をお願いしつつ、今回の旅行記を終わりたい。
メリケン国西部 大自然を訪ねて −完−
(2015/02/15)