(2014第4回)メリケン国西部 大自然を訪ねて −第4回−
厳冬仕様の重ね着でブライスキャニオンの朝日を鑑賞し、その日の昼間は、猛暑と熱砂の中をホースシューベンドに向けて真夏の服装で延々と歩いた私たち。断崖絶壁で足がすくんだ後、次に向かうのは、「一生に一度は訪れたい絶景」と言われる自然の造形美。そして、西部劇の大舞台へ。次々と大自然を巡っていく。
【第3日目 6月28日(土)アンテロープキャニオン〜モニュメントバレー】
一生に一度は・・・ アンテロープキャニオン
さて、熱砂の上を歩いてバスに引き返した私たちの次なる目的地は、アンテロープキャニオン。似たような地名が続いて恐縮だが、仕方ない。
この峡谷も砂岩の浸食によってできたもの。観光案内風に言えば「一生に一度は訪れたい世界の絶景!自然界の驚異が生み出した美しい造形の岩壁と、そこに差し込む太陽のスポット」ということになり、BSテレビの絶景紹介番組でも取り上げられていた。
発見されたのは比較的新しく、1930年代のこと。先住民であるナバホ族の少女が羊を追って道に迷い、分け入っているうちに、偶然、巨大な大地の割れ目を見つけたのが始まりである。
ナバホ族の土地に所在することから、この地の観光案内なども彼らが行っていて、その生活を支えている。なお、この峡谷を発見した少女は、今、94歳で健在だそうだ。
アンテロープキャニオンには、ナバホ族の男性が運転する四駆のトラック改造車の荷台に乗って出発。水のない川を砂ぼこりを巻き上げながら疾駆する。天井のない車なので、帽子が飛ばされそうになるし、埃よけにかけたマスクがめくれるが、両手で座席前の金具につかまっているので、どうしようもない。目も開けているのがやっとである。
ここは月面? 幻想的なアンテロープキャニオン
やっと目的地に着いた。一見何の変哲もない洞窟の入り口みたいな所である。
四駆トラックを運転していたメタボ体型のナバホ族男性が先導と説明をして、それを安西さんが通訳する。狭い通路のような峡谷をゾロゾロと後に続く私たち一行。この峡谷は、鉄砲水と風が岩を削って作り出したものであり、時には、数十km上流の降雨が大量の水となってここに流れ込むという。こことは別の個所だが、1997年8月には、このキャニオン周辺にはほとんど雨が降っていなかったのに、突然鉄砲水が流入して、11人の観光客が犠牲になったこともあると聞いた。
通路頂部の開口部から光が差し込む。その光が、絶妙な光景を演出してくれる。例えば、右の写真。カメラを安西さんに渡して、シャッターを切ってもらったものだが、白クマが横向きに立ち上がっているように見えないだろうか。これは肉眼では分かりにくいところ、デジカメで撮影したら、このように見えるのだそうだ。
そんなこんなで、月面を散歩しているような光景を堪能して、アンテロープキャニオンを後にした。
先住民の歴史とナバホ・ネイション
さて、今夜の宿は、モニュメントバレーに程近いナバホ・ネイション(Navajo Nation)内である。
ネイション(Nation)というからには、国である。メリケン国の中にありながら、州(State)でもないネイションが存在するというのは、意外だと思われる方が多いと思う。「保留地(Reservation)」とか「準自治領」と表現した方が、より理解しやすいとは思うが、ナバホ・ネイションは、独自の法律を持つ「国」なのである。そして、その領土は、ニューメキシコ、アリゾナ、ユタの各州にまたがる。
なぜ国の中に国があるか?これは、メリケン国における先住民(ネイティブ・アメリカン)の歴史を抜きにしては語れない。
ご承知のとおり、北米大陸には、白人たちが「アメリカ・インディアン」と呼んだ先住民がいて、平和に暮らしていた。そこへ欧州から白人たちがやってきて「入植」「開拓」を進め、彼らの土地を奪っていった。
西部劇では、「善玉=白人」が「悪玉=野蛮なインディアン」に襲われる場面がたびたび登場するが、これは、完璧に白人の視点に立って一方的に描いたものである。そして、先住民たちは、虐殺されるか、さもなければ、先祖伝来の土地を追われて、白人入植者たちが仕立て上げた「居留地」へと移住させられた。
ナバホの言葉と日米戦争
その中でもナバホ族は、最大の人口を有する部族であり、温和な行動で知られ、入植者とも共存する方向を探っていった。だが、「土地を奪って勝手に作った居留地に追いやる」という入植者たちの政策は、遠慮なく押し付けられた。その居留地であるナバホ・ネイションの領域が確定するまでには、同じ先住民であるホピ族との関係など、複雑な経緯もあるが、ここでは省略する。
現在、ナバホ族は人口約30万人(10万人とする資料もある)。
米軍は、太平洋戦争中には、ナバホの言葉を暗号代わりに使い、日本軍は、その意味が全く理解できなかった。このことが、日本の戦況を不利にし、やがて日本を敗戦に至らしめる一因となった。
なお、ナバホ・ネイションでは、独自の法律により飲酒は禁止。従って、今夜はアルコール抜きである。と言えば、ナバホの人たちは禁欲的かと思われるかも知れないが、実際は入植者が持ち込んだアルコールがナバホ族の間に広がって、いろいろなトラブルが起きたことから、禁止に至ったのだそうだ。
「自分で買って持ち込んだお酒を部屋の中で飲むくらいは大目に見てくれるようですが、そういうことなので、よろしく」と萩本さん。
【第4日目 6月30日(日)モニュメントバレー〜グランドキャニオン】
モニュメントバレーの日の出
さて、旅行4日目は、いよいよこの旅の最大のハイライト。モニュメントバレーとグランドキャニオンを巡る。
今回の旅は、「早起きツァー」でもある。旅程の中に3日連続で「日の出観賞」が組み込まれているのである。
今朝はその第2回目。ガンマン、カウボーイ。荒くれ者と保安官。幌馬車が行く荒野。西部劇の舞台としてよく使われるモニュメントバレーの日の出を見に行くのだ。モーニングコールはAM4:30でAM5:20出発。朝食はバレーの観光から宿に帰ってきた後でとる。年齢のせいか、さほど眠くはない。
ナバホ族の男性が運転するミニバスに乗って現地へ向かう。
「あの村 この町を〜♪」(メリケン国民謡「駅馬車」)と鼻歌のひとつも出ようというものだ。リンクは、こちら。
駅馬車 あの村 この町を 今日また 後にして 走れよ 元気よく みんなが まっている 希望のせて 馬車は行く はるかな ふるさとを 夢見て 走れば 苦労など なんでもない |
なお、上記の歌は、広大な西部をバックに、ゆったりと馬車がゆく光景を思い浮かべるが、原曲は「Bury
me not on the lone prairie(寂しい草原に埋めないで)」という悲しい歌である。
観賞ポイントに着いた。まだ暗い中、大勢の人たちが日の出を待っている。寒い。今朝も真冬の服装だ。
少しずつあたりが明るくなってきた。柔らかい地層が風化・浸食されて硬い地層が小山のようになって残った「ビュート」と呼ばれる孤立丘が、シルエットとなって現れてきた。コロラド高原の一部に、ビュートが記念碑(モニュメント)のように並んで独特の景観を形成していることから、この地を「モニュメントバレー」と呼ぶようになった。いかにも「西部」という地形である。
やがてビュートの裾野から光がさしてきて半円形となり、刻々と明るさを増していく。そして、金色の太陽が頭を覗かせてきた。モニュメントバレーの日の出である。その瞬間、拍手と歓声が沸いた。うーん、すごい!壮大な荒野の朝日だ。今、自分が北米大陸の歴史を刻んだ土地に立っている、という実感で胸が一杯になってくる。
モニュメントバレー遊覧
ミニバスに一行12人が戻って、モニュメントバレー内の要所要所を回る。この地は、ナバホ族にとって聖地であることから、彼らによる案内のもと、敬意を払いながら遊覧するのである。
「駅馬車」「荒野の決闘」「黄色いリボン」など、この地で撮影された西部劇映画は、枚挙にいとまがない。特に、ジョン・フォード監督は、好んでこの地を舞台に選んだ。同監督がカメラを据えた地点は「ジョン・フォード・ポイント」と呼ばれて、観光客が必ず訪れる名所となっている。私たちも、そのポイントで写真を撮りまくる。
「サボテンの花咲いてる 砂と岩の西部〜♪」と、またしても鼻歌が出てくる。この歌の題名どおり、「赤い河の谷間」そのものの光景が360℃広がっている。乾いた大地、赤い岩山。
「赤い河の谷間」へのリンクは、こちら。
赤い河の谷間 サボテンの花咲いてる 砂と岩の西部 夜空に星が光り オオカミ鳴く西部 赤い河の谷間よ 切り立つ岩山よ 昼なお暗い森よ 通る人も絶えて |
私も、出発前に、レンタルビデオ店で西部劇映画を何本か借りて観てきた。
荒野を行く幌馬車隊、遠くの丘の上に並んで襲撃を待つ先住民。鳥の羽で頭を飾った酋長の号令一下、武器を手に駆け降りる先住民。幌馬車の中で怯える女性や幼い子供たち。絶体絶命のピンチ!と、そこへ黄色いマフラーの騎兵隊が登場!その勇姿!間一髪で先住民を蹴散らして撃退。笑顔が戻る幌馬車隊の女性たち・・・と判で押したような画面が広がる。
今思えば、前述のとおり、野蛮な悪者=先住民=当時は「アメリカ・インディアン」と呼んでいた=と正義の味方=白人の騎兵隊、という史実と大きくかけ離れた白人優越思想丸出しの映画だった。
しかし、これらの映画の撮影に当たっては、先住民たちがエキストラなどとして大勢協力していることもまた事実だという。この聖地=モニュメントバレーをロケ地に使うことを提案したのも、先住民の側からだった、という話も聞く。こんなことも含め、歴史というものは、単純な図式では理解できない。
メリケン式大量&高カロリー昼食
私たちは、ナバホの集落を垣間見ながらモニュメントバレーを後にして、このツァーの目玉観光地とでも言うべきグランドキャニオンへと向かう。途中、ナバホ族が経営するレストランで昼食をとる。
ここで、メリケン式の食事についてちょっと触れたい。今までこの国を訪ねるたびに、その食事のボリュームには圧倒されてきた。今回も、それは同じ。このツァーの食事はバイキング方式が多いのだが、今日の昼食は、そうではなく、シチューが供されるという。
大皿に大盛りのシチューが出てきた。これでお腹一杯になりそうと思ったら、続いて宅配ピザのLサイズを一回り大きくしたような丸い揚げパンが出てきた。ナバホ・タコというナバホの伝統料理である。その上にはバターがド〜ンっと。さらに大きなアイスクリームも運ばれてきた。
おいしいのだが、量、カロリーともに、ダイエット中の(というか、ダイエットを続けたい、という意思は、まだ捨てていない)私には、かなりつらい。申し訳ないと思いつつ、半分ほど食べ残してしまった。
まだまだ旅は続く。しかし、私は、この日、チョンボを2つ重ねてしまう。
そのお話は、また次回に。
−続く−
(2015/01/11)