(2014第2回)メリケン国西部 大自然を訪ねて −第2回−
定年退職を5ヶ月後に控え、一生に一度は行ってみたいと思っていたメリケン国西部のグランドキャニオンなどの大自然を堪能しようと、ツァーに一人参加した私。一昨年、激痛に見舞われた右脚にはまだ痺れが残り、あの苦痛の再発を恐れながら、ロサンゼルス空港に降り立った。
【第1日目 6月26日(木)ロサンゼルス空港からラスベガスへ】
入国審査は長蛇の列
ほぼ定刻に、ロサンゼルス着。現地時刻で18時過ぎである。
ビジネスクラスだと、早めに機外に出られるので、入国審査の列に並ぶのも早い。と思いきや、他の到着便もあったらしく、入国審査に向かう人たちがゾロゾロと通路を歩く。同じ便のビジネス席にいた古田さんは、と見ると、私にかまわず、どんどん歩いている。後で分かったことだが、この古田さんという人、良い人なのだが孤独癖があるようだ。
入国審査室は、長蛇の列だった。少しでも列の短いところに並びたい。日本の青色航空の女性地上職員がいたので尋ねてみたが、「どの列に並んでも同じです」という。一番近くの列の最後尾に並んだ。古田さんは、どこに並んだのか分からない。
これが苦難の始まりだった。私の列が遅々として進まない。見ると、中国のパスポートを持った客が多い。そのためか、審査に時間がかかっていて、イライラする。周りの列は、遅いながらも少しずつ短くなっているのに、私の並んだ列は、牛の歩みである。携帯電話で日本の家族にロサンゼルスに到着したことを連絡したり、現地在住の同級生に電話をかけたりして時間を過ごすが、なかなか順番が回ってこない。1時間、1時間半。さすがの私も少し焦ってきた。添乗員の萩本さんに連絡を取るべく、何度も発信するが、要領が悪いのか、通じない。
スローモーション審査官
そうこうしているうちに、やっと先頭に近い場所まで進んだ。
と、ここで入国審査官のブースが一つ閉まった。審査官のオジサンが退出したきり戻らないのである。別の旅行会社のバッジをつけた日本人が後ろにいたので話しかけると、「私たちは、これから国内線に乗り継ぐことになっているんですよ。こんなに時間がかかって、困っています」とのこと。
ようやく私の番が回ってきた。Eチケットを差し出したのに、審査官は見ようともせず「滞在は何日間か」とか「出発はいつか」などと質問してくる。「このEチケットに書いてあるだろ!」と言いたくなったが我慢して質問に答える。両手の指すべての指紋を取られ、顔写真を撮影された後、やっと入国スタンプが捺印されたパスポートが戻ってきた。列に並んで2時間が経っていた。当然、この間ずっと立ちっぱなし。足腰に爆弾を抱えているような私にとっては、とんでもない苦行だった。
急いで手荷物を受け取りに行くと、萩本さんが心配そうに待っていた。「一番先に通過していると思ったら荷物が残っていたので、ここで待っていました。別室に連行されて尋ねられているかと思いました」とのこと。
ツァー一行も、私一人のために足止めされていたわけだ。申し訳ないことだが、この原因はスローモーションなメリケン国入国審査官どもである。
順法闘争?
萩本さんと現地ガイドの安西さんに案内されてバスに乗る。安西さんは、私より少し年上と思しき男性である。バスは、56人乗りの大型。これからずっとこのバスで、ツァー一行12名と添乗員、ガイドを加えた14名が行動をともにするという。ゆったりしていて有難い。
車中で安西さんが挨拶する。そして「入国審査に時間がかかったでしょう。この国の公務員は、結構いい給料をもらっているのですが、民主党オバマ政権になって以来、給与が上がらず、要員削減などにも不満を募らせています。だから、待遇改善を求めて、仕事の能率を落としているんです。ストライキはせず、ゆっくりゆっくりと仕事をするものだから、こんなことになっています」
ひどい話である。かつて日本でも、分割民営化前の国鉄で「順法闘争」という名の争議行為が行われていた。それと同じ。メリケン国の公務員たちの雇用主=国家に対する不満を、なぜ私たち無関係な旅行者が受け止めなければならないのか。
だんだん日が暮れて、やがて完全に暗くなったハイウェイをバスは走る。目指すは、今夜の宿がある町、ラスベガス。これから5時間もかかるので、到着は深夜12時を過ぎる見込みだという。時間節約のため、夕食は、動くバス車中でお弁当だ。
カジノの街は不夜城
深夜、日付が変わった後にラスベガスに到着した。とにかく派手!キンキラキンのネオンが輝く。まさに不夜城である。お城のようなホテル。タワーのようなホテル。ホテルとホテルを結ぶモノレールもある。
安西さんによれば、この町のホテルには7千室、8千室という規模のものもあるそうだ。私たちが泊まるホテルは2千室。この町では、大きいうちに入らないのだとか。そのホテル群のすべてがカジノを備えている。前述のモノレールは、カジノとカジノをハシゴする客のためのものである。
「どこのカジノも壁に時計はありません。時間など忘れて、夜通し遊んでもらいたいからです」
「どのホテルでも、窓は開かないようになっています。カジノですってんてんになった客に飛び降り自殺されると困るので」
「カジノでは飲み物はタダです。ケチなことは言わないので、どんどんお金を使ってくれという意味です」
ホテル入口はカジノ入口
うーん、さすがギャンブルの総本山である。しかし、今では、売上トップの座は、マカオに奪われているのだそうだ。
ホテルの入り口を通って驚いた。ルーレットやトランプの台。スロットマシン。玄関を入ると、いきなりカジノ、なのである。人目をはばかる、なんて意識は微塵もないようだ。ただ、このホテルでは客は多くはないようで、ディーラーたちは、手持ち無沙汰にしていた。
【第2日目 6月27日(金)ラスベカス〜ザイオン国立公園〜ブライスキャニオン国立公園】
ビルの谷間から荒涼たる台地へ
メリケン国滞在第一夜が明けた。
改めて周りを見回してみる。巨大なホテル群。パリのエッフェル塔を模した建造物や観覧車も。しかし、この享楽の殿堂ともいうべき町は、砂漠の中に人工的に作った都市であるため、気候は厳しい。6月末に近い今日でも、日中の最高気温は40℃近くになるという。
バスに乗り込む。前述のとおり、56人乗りの大きなバスにドライバーまで入れて15人という一行なので、私のような一人参加者も、二人分の座席を使ってゆったりと座ることができる。ただ、このバス、トイレは備えているのだが、タンクの容量が小さいので、緊急時でない限りは使わないで欲しいとのことだった。その代わり、トイレ休憩を適宜入れるという。昼食時のビールは控えめにしたほうがよさそうだ。これまでの旅で何度も痛い目に遭っている。
ビル群を抜けると、ほどなく赤茶けた土地が目立ち始め、やがて果てしもなく荒涼とした大地が広がってきた。見渡す限り何もない。我々のバスが走る道路がどこまでもどこまでも続くだけである。このメリケン国がとんでもなく広い国だと実感する。
ここは、ネバダ州。日本全土の75%に当たる面積に260万人しか住んでいない。昨日、入国したロサンゼルスが所在するのは、カリファルニア州。すぐお隣でありながら、同州が全米の1割に当たる人口を抱えているのとは対照的である。
このネバダ州は、その全体の80%が連邦政府の直轄地であり、その少なからぬ部分が軍事目的で使われている。有名な核実験場もある。そう聞けば、このだだっ広く荒れた大地がそのままになっている理由も分かる気がする。
また、ネバダ州は、全米で唯一、売春が合法化されている州である。売春にカジノ。まあ、「飲む、打つ、買う」のうち、飲む以外は嗜まない無粋なオジサンである私には、関係のないお話だ。
ネバダからユタ州へ
私たちのバスは、ネバダ州からさらに内陸のユタ州に入った。通行税みたいなものがあるらしく、州境でチェックポイントのような所に寄るものの、周りの景色に大きな変化があるわけではなく、荒涼とした景色の中を坦々とバスは進む。
ユタ州は、日本の本州ほどの面積に人口276万人。モルモン教徒によって開かれた州であり、州都であり最大の町でもあるソルトレイクシティには、モルモン教の教会本部が所在する。現在も、州人口の約60%がモルモン教徒である。
かって、日本の岩倉使節団は、明治4(1871)年12月、サンフランシスコに上陸し、北米大陸を横断。かの地の文明に驚愕して、その後の日本の近代化促進をはかる契機となったわけだが、その使節団が最初に大陸横断鉄道から下車したのが、このユタ州である。当時、現地の新聞が使節団のことを大きく報道したという。
なお、岩倉使節団は、使節46名に随員や留学生を加えた総勢107名。先進国の視察調査と不平等条約改正を意図して派遣されたエリート集団であった。
また、太平洋戦争中には、全米で12万人もの日系人が強制収容所に入れられたが、この措置に反対したのはユタ州選出の議員。戦後、収容所から出所しても帰る家を奪われていた日系人たちを受け入れたのもこのユタ州である。
ザイオン国立公園−壮大な彫刻−
さて、そんなユタ州における私たちの目的地は、ザイオン国立公園だ。
実をいうと、私は、この旅に出るまで「ザイオン国立公園」については、全く知らなかった。この旅は、ひとえに「一度はグランドキャニオンを見てみたい」というのが出発の動機であり、あとモニュメントバレーは西部劇の舞台として知っていた、という程度である。
なので、旅行が確定して以降、少し調べてみた。ザイオン国立公園の中心は、面積593平方キロメートル、長さ24km、深さ800mのザイオン渓谷。ヴァージン川によって赤い砂岩(ナバホ・サンドストーン)が侵食されてできたものである。「水によって創造された壮大な彫刻」というのだそうだ。
この地には、約8千年前から先住民が住んでいたが、1858年にモルモン教徒が入り、やがて定住するようになった。ちなみに、ザイオンとはヘブライ語の「シオン」を英語読みしたものである。
ザイオン国立公園−大岩壁とロッククライミング−
のっぺりした平原から岩山の間に分け入るような形でバスが進み、周りの風景が変わってきた。やがて、巨大な岸壁や山々が間近に迫り眼前にそびえてくる。山頂の形がお寺の屋根のように見えるので「ウェストテンプル」と名付けられた岩山である。
周りをぐるりと見回すと、赤い岩肌には、灌木のようなものがぽつりぽりつと見られるだけで、緑一色の日本の山岳部とは全く違った荒々しい光景だ。山頂近くが白くなっているのは、雪だろうか。
高さ1,160mにおよぶ大岩盤もあり、垂直に切り立っている。現地ガイドの安西さんが指をさして
「ほら、見てください!ロッククライミングをしている人がいますよ!」
全員「おお!」と感嘆の声をあげた。
小さな粒のようにしか見えないが、ロープで岩盤にぶらさがっているのは、紛れもなくヘルメットをかぶった人である。すごい!こんな場所で、こんな危ない、いや、スリリングなスポーツを楽しむ人もいるのだ。ちなみに、このロッククライミングに挑戦できるのは、公園内のビジターセンターで登録を済ませ、装備も整えた上級者だけなのだそうだ。
上級者でも何でもない私たちは、この公園内のトレイルコースを歩いて、大自然を満喫する。しかし、一行の中の一人が足を踏みそこなって・・・。
続きは次回。
−続く−
(2014/12/28)