(2013第9回)親子旅はシベリアの町へ −その9−
旅行3日目である。シベリア鉄道体験乗車を終えた私たちは、これも出発前から楽しみにしていた、ロシア人の家庭訪問へと向かう。ご一家3人と猫2匹に歓迎されつつお宅に上がり込んだ。
【第3日目 9月22日(日)ロシア人の自宅訪問】
甘党の家族
ヒョードロフ家の居間にはテーブルがあり、たくさんのお菓子と紅茶が用意されていた。その紅茶にはジャム。
ロシア人は、甘いものが大好き、と聞いていたが、このご家族も甘党に違いない。ご主人が英語のPleaseに当たる「パジャールスタ」と言って、これらの茶菓を勧める。本当は甘いものは苦手な私だが、せっかくのご好意を無碍にはできず、いただく。
ここでお土産にと持参した扇子を取り出す。単なる「折りたたみ式団扇」と思われたくないので、ナターシャさんに
「扇子は末広がりと言って、日本では幸せが広がる、めでたいものとされています、ってお伝えください」
と頼んだ。
ナターシャさんが通訳すると、ご一家は、笑顔で「スパシーバ」(ありがとう)と返してくれた。
月収8万円で家賃7万円?
ご一家3人が自己紹介。
ご主人は、警備員をしていて20時間連続勤務の後、2日間連続で休みというローテーションだとのこと。ロシア人男性には、ウォトカをがぶ飲みする飲兵衛が多いと聞くが、このお父さんは、職業柄、アルコールはほとんど嗜まないそうだ。
奥さんは、前述のとおり、ナターシャさんと同じ会社の英語ガイド。
娘さんは、大学5年生で経済学専攻。銀行に就職が決まっていて、将来の夢は「社長になりたい」とのことだった。
ちなみに、ご主人の月収は8万円。このアパートの家賃が7万円なので、決して楽ではない。だが、ダーチャで野菜などを作って自給しているので、食費は思うほどかからない。ただし、今年はアムール川の増水でヒョードロフ家のダーチャが浸水被害に遭い、作物が全部ダメになったため、苦しいのだという。
ロシアでは、夫婦共稼ぎが当たり前であり、この家の家計も奥さんの収入に負う部分が大きいのだろう。それと、あとでナターシャさんから聞いたことだが、この国では、副業が公認されている。勤め人は、休日や終業後に何かしらの副業に携わっていることが多く、まして、この家のご主人のように2日間連休が取れる人は、副業を持っていることが一般的、とのことだった。
ただ、ヒョードロフさん自身が副業を持たれているかどうかは、聞きそびれた。
日本名物はイタめし?
書棚にミッキーマウスが置いてあることに気付き「東京ディズニーランドに行かれたのですか?」と尋ねた。一昨年の夏に3人で日本に行ってきたとのこと。
「東京、京都、奈良を回ってきましたが、日本はどこも清潔で便利だし、日本人はみんな親切なので、大好きです」
と3人とも日本をベタ褒め。あまり褒められるので、お尻がむず痒くなるほどだ。
「でも」と奥さんが口を開いた。
「私たちは日本料理を食べたかったのに、ホテルで紹介してもらったのは、イタリア料理のレストランばかりだったのです。日本人は、イタリア料理が好きなのですか?」
うーーん。
「それは、皆さんが外国から来られた方々なので、イタリア料理なら、無難で口にも合うと思ったからではないでしょうか」
と苦し紛れに答えておいた。
仕事のこと、生活のこと、医療のことなどなど、話が弾む。この間、何度もご主人が「パジャールスタ」と繰り返しながら、笑顔で紅茶を勧めてくれる。結局、5杯もいただいてしまった。
大雪の日はお休み?
楽しく会話が弾んだので、書きたいことはたくさん出来たが、この項だけ長くなるのもいかがかと思うので、ごく一部だけ紹介する。
私「冬には、雪が深いと思うけど、通学や通勤はどうされますか?」
父母「冬季用タイヤを履かせた車で出勤します」
娘さん「大学を休んじゃいます」
父「日本では、車のタイヤはどれくらい使いますか?」
私「私が住んでいる高知では冬用タイヤは要りません。だから、ずっとノーマルタイヤなので、タイヤ交換は走行距離によります」
父母「うらやましい!雪が降らないんですか」
私「たまにしか降りません。2〜3cmも積もったら大ニュースになるし、あちこちでスリップ事故が起こります」
母「ロシアでは、公立の病院は安いけどあまり良い医療が受けられません。私立の病院にかかれば高いけど良い医療が受けられます。日本ではどうですか?」
我が娘「公立と私立とで、医療費も医療内容も差はありません。ただ、施設の整った総合病院は公立のほうが多いです」
私「ところでうちの娘は何歳に見えますか?」
一家「そうですねぇ。20歳くらいに見えるけど、24歳くらい?」
私「ふふふ。やはりねえ。実は・・・」
我が娘「もう!また?やめてよ〜」
ウハー
ご一家3人と猫2匹に見送られ、ヒョードロフ家を辞去。短時間ながら、楽しいひとときを過ごすことができて、有難いことである。ロシアの人たちは、本当に人が良いことを改めて実感。あの無愛想な役人やレストランの従業員たちと同じ国民であることが不思議なくらいだ。
さて、昼時になった。ヒョードロフ家で勧められるままにお菓子をたくさん食べたので、お腹は空いていないが、予定どおりレストランへと向かう。
今日の昼食は、「ウハー(Уха)」というロシア風魚スープがメインである。ロシアの一般家庭でボルシチに次いで、よく作られるスープであり、鮭、タラ、スズキなどが素材として使われるという。
これも、なかなかおいしい。ピラフのようなものも出て、結構ボリュームがある。本来なら、しっかりいただくところだが、前述のとおり、既にお腹には、あまり詰め込む余地がない。もったいないと思いつつ、料理を半分ほど残してしまった。
金のなる木とルーブル
ところで、料理もさることながら、ナターシャさんと娘の椅子の斜め後ろに置かれている観葉植物にルーブル紙幣がぶら下げられていることが気になる。ナターシャさんに、「これは何ですか?」と尋ねると「金のなる木」なのだそうだ。金運を呼ぶおまじないだろうか。
このルーブルという通貨は、かつて、すさまじいインフレで価値が暴落している。
旧ソ連時代の公式レートは1ルーブル=360円。しかし、故・宮脇俊三さんの「シベリア鉄道9400キロ」によれば、1982年に宮脇さんがこの地を訪れた際には、1ルーブル=342円だったことが分かる。それが1992年には1ルーブル=1円にまで下落し、1997年にはデノミで0が3つカットされた。インフレの最中には、モスクワの街中ではルーブルではなく、タバコのマルボロが通貨代わりに使われたこともあると聞く。
そして、今、1ルーブル=3円ほど。
今でもこのルーブルという通貨は、旅行者にとって扱いにくい通貨である。私たちは、あらかじめ、出発前に旅行代理店で円をルーブルに替えて入手していた。そうしないと、ロシア国内ではレートが良くないし、そもそもハバロフスク空港には両替の窓口など、一切ないことが分かっていたからである。また、帰国後、この紙幣を持ち帰っても、日本の銀行で円に再両替できるところはごく限られているので、滞在中に使い切るつもりである。
ナターシャさん
昼食をとりながら、ナターシャさんと話が弾む。もうすっかり、うち解けている。
話題は、ヒョードロフ家での会話を引き継ぐような形で、ロシアの冬の厳しさ、生活のあれこれなど、日本では考えられないこともいろいろ。
ナターシャさんのプロフィールも明らかになってきた。現在20歳代後半の新婚さん。地元の大学で日本語を学び、何度か訪日したことがあるが、留学経験はない。
四国には行ったことがないとのこと。これは、まあ仕方がない。
自由行動
アムール川再び
昼食後は、ナターシャさんと別れて、半日自由行動。と言っても、特に行きたいところもなければ近郊を回るほどの時間もない。
私たち親子は、昨日、雨模様でいまひとつすっきり見えなかったアムール川を見下ろす公園を再訪し、ブラブラと歩くことにした。あの「ムラヴィヨフ・アムールスキー公園(文化と憩いの公園)」という公園なら、ホテルから徒歩1分程度の場所でもあるし。
公園から見たアムール川は、清涼な大気の中、秋の日差しを浴びて豊かに輝いていた。航行する船も、心なしかゆったりと移動しているように見える。遠くに見える大きな煙突は、この町の集中暖房用ボイラー。燃料は石炭だそうだ。冬季には、この川が真っ白に結氷して、向こう岸まで歩いて渡れるのだという。
ベビーカーを押す若夫婦や、そぞろ歩く市民たち。今日は日曜日なので、家族連れが多い。階段を下りて、川べりに出てみると、土嚢が積み上げられていた。増水対策である。
赤軍博物館
公園の近く、昨日訪れた郷土史博物館の前に、大砲がたくさん並んでいた。ロシア人は、大砲が大好きで、ミサイルを開発したのも、宇宙ロケットを飛ばしたのも、その延長だと聞いたことがある。
その大砲が好きなロシア軍が、日露戦争の時には、二百三高地の攻防で日本軍の28サンチ榴弾砲の威力の前に屈したことは、ロシア史上の大事件なのかも知れない。
だから、というわけでもないが、私たちは、至近距離にある「赤軍博物館」を訪ねてみることにした。この赤レンガ造りの建物は、ガイドブックに「日本軍のシベリア出兵の写真や関東軍の残した寄せ書きした日の丸も展示されている」と記されていて、ちょっと興味を持ったからである。
入り口のドアを開けると、チケットブースにおばさんが座っていた。指を2本立てて「ドゥワー」(ロシア語の2)と言い、チケット2枚を求めようとしたが、おばさんはチケットブースの隅の表示を指差した。そこには英語で「Closed」と書いてあった。
帰国後、同じ年にこの博物館を訪ねた人のブログを読むと、館内は閉まっていたものの、頼めば、建物の外側に展示してある戦車や戦闘機などは見せてもらえたそうで、そのまま退散したことを悔やんだが、後の祭りである。
仕方がないので、公園内で開いていたフリーマーケットなどを覗いた後、ホテルへと引き返した。
ホテルの日本レストラン
さて、今夜はロシア最後の夕食になる。この食事代は、旅費に含まれていないので、自分たちで食事場所を決めなければならない。
私たちは、宿泊しているホテルの11階(日本式に言えば12階)にある日本レストランへ行ってみることにした。大体、海外の日本レストランと言えば、高い、不味いと相場が決まっていて、本物の日本食とは「似て非なるもの」か「似ても似つかぬ」料理が供されたりして、がっかりすることが多い。まして、ここはロシアである。不安ではあるが、どんなものか試しに入ってみよう、というわけである。
さて、その日本レストランでは、日本語はもとより英語さえ全く通じず。このため・・・・
どんなことになったかは、また来週。次回は、いよいよ最終回である。
−続く−
(2013/12/22)