右写真は仕事で初めて柴巻の田中家を訪れ時の写真です。道路から上の田中家へ続く道には彼岸花がたくさん咲いていました。下写真は修復中の田中邸で中は見れませんでした。土日のみ開放しており無料で入れます。
田中家での龍馬
龍馬の坂本家は、上士の住む郭中のすぐ西に位置しており、枡形から向こうへ行けない不都合さや、幼い頃から高知城を見上げるのみの生活を送っていたので、柴巻の八畳岩から高知城や太平洋を眺める景色は、普段の窮屈さを吹き飛ばしてくれたことでしょう。
龍馬は夏になれば田中家の西に昔あった小さな池にタライを浮かべ、近所の子と遊んだという話も残っています。また近所の子を集めて剣道をしたようです。子供達が数人かかっても、簡単にあしらったということです。また田中家では、前の晩いくら酒を飲んでいても、早朝に目を覚まし何百回も素振りをしエイエイという鋭いかけ声をあげ、まだ眠っている家人を驚かせていたようです。龍馬がここでとりわけ好きだったのが碁や将棋で、良助さんと碁遊びに夢中になって、庭に干してあった籾(もみ)がいくら濡れても、そのうち女房が入れるだろうと平気だったという良助さんも、豪放な人だったようです。こんな龍馬を見ながら柴巻の村人は龍馬に親しみを覚え、色んなエピソードが残ったようです。
ここで近所の子達に剣道を教えたかもしれないということで訪ねました。柴巻きには他にも小さな神社があるので確定ではないですが。
上町2丁目を北へ進み、円行寺を抜け北山を左へ進むと柴巻があります。
柴巻は高知市を見下ろす長閑な山里で、ここに坂本家所有の山を管理していた田中家がありました。田中家と龍馬の才谷屋との長い間の交流の中、龍馬は上町の自宅から、時々まっすぐ北へ歩いて遊びに来ていました。時には若者達と歩いた山道は「龍馬青春の道」だそうです。柴巻ではむかしから龍馬の話が数多く伝承されているようです。身分差別のあった時代に、ここで伸び伸びと良助さんや地元の人達と交流したことは、後の激動の時代を駆け抜けていった龍馬にとって、心の糧になったことでしょう。
田中家は、柴巻の豪農で地区を見下ろす場所に位置しています。家の裏には土佐山村・鏡村の人々が荷を運ぶ北山の道があります。主屋は龍馬が泊まった部屋が保存されております。田中良助は、龍馬を暖かく迎え一緒に田中家の西にある八畳岩へ上がり、一緒にお酒を飲んでいたと言われています。龍馬はここで、将棋を打ち、良助さんの鉄砲を持ちウサギ狩りを楽しんだようです。
また脱藩の際に龍馬が田中家へより、2両のお金を借りたのですが、良助は、2両のお金の返済を生涯口に出さなかったといいます。
坂本龍馬関係で実際に現存する建物は、高知市内、この柴巻の田中良助邸だけとのことす。田中家から寄贈され、高知市が2004年秋に復元工事を行いました。その修理中や復元記念の様子を纏めてみました。
柴巻での龍馬は、この八畳岩の上で良助さんと、よくお酒を飲んだそうです。この岩に登り太平洋を眺めると、龍馬の心に近づいたようで嬉しくなります。(左は失敗の龍馬絵です。足がおかしいでしょう?)
田中邸の下で祝賀会が始まりました。県外の龍馬ファンが駆けつけ、記念樹を植えました。また龍馬と交流のある第四小の生徒達や龍馬連の方々が踊りを披露しました。
参考資料
高知教育委員会発行「龍馬柴巻に遊ぶ」